特集
四季を通じて温暖で、海の青さと山の緑のコントラストが鮮やかな湯河原。この街を愛し、この街を舞台に、そして、この街で筆をとった文人墨客は数知れません。
このページでは湯河原を愛した文人墨客を紹介します。
私達の先を歩いた彼等の足跡を辿って街を歩いてみたら、彼等が湯河原を愛した理由を、少しだけ見つけられる気がします。
画家
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【 竹内栖鳳 】
「東の大観、西の栖鳳」と評された日本画家。大観とともに第1回文化勲章を受章しています。夏目漱石も逗留した天野屋旅館を度々訪れるうち、その敷地内に住居と画室を建て、晩年のほとんどをこの地で過ごしました。
●[町立湯河原美術館収蔵]「喜雀」六曲一双屏風、「山海珍賞」 -
【 安井曾太郎 】
天野屋旅館敷地内の旧竹内栖鳳画室に移り住んだ洋画家。天野屋の窓から見下ろして眺めた風景を描いた「赤き橋の見える風景」は、晩秋に描き始めた作品が翌年の初夏にかかり、木々の緑に覆い隠されてしまったといいます。
●[町立湯河原美術館収蔵]「赤き橋の見える風景」
【 三宅克己 】
明治から昭和の始めにかけて水彩画専門の画家として活躍しました。イギリスの風景画に影響を受けた、写実的な美しい作品を残しています。後半生を真鶴で過ごし、「南仏のニースに似ている」と愛した港の絵を多く描いています。
●[町立湯河原美術館収蔵]「相州真鶴港全景」
【 矢部友衛 】
東京美術学校日本画科を卒業。1926年にモスクワに渡り、プロレタリア運動を通じてロシア美術を日本に伝え、自らも労働者を多く描いた洋画家。湯河原には戦中疎開し、「平和署名ー農村から」などの作品を描きました。
●[町立湯河原美術館収蔵]「労働者」
【 富田道雄 】
湯河原町吉浜出身。三宅克己の後を次ぐ、第二世代の水彩画進行運動に関わりました。銀行に勤める傍ら一水会などに精力的に出品を続け、また講演や執筆活動を通じ、水彩画の普及に努めました。
●[町立湯河原美術館収蔵]「渓流の秋(湯河原万葉公園)」
文人
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【 夏目漱石 】
晩年に二度静養のため逗留した旅館、旧天野屋には、漱石が湯河原の風景を見て書した「山是山 水是水」という「仏教詩句集」の漢詩が現存しています。遺作「明暗」は、主人公が旧天野屋で昔の恋人と再会する場面を最後に絶筆。未完の作品となってしまいました。
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【 与謝野晶子 】
吉浜の実業家・有賀精と友好のあった与謝野晶子は、有賀の邸宅・真珠荘に度々滞在しました。晶子はそこで、庭に植えられた典雅な大島桜に魅了され、それを題材に数々の歌を詠み、最後の歌集を「白桜集」と名付けたのも、この桜にちなんだものといわれています。
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【 谷崎潤一郎 】
湯河原吉浜に念願の湘碧山房を建てた谷崎でしたが、ここでの一年は老齢に加え病気がちで、この家で三度目の「源氏物語」現代語訳を完成させた翌年の夏、亡くなりました。また「七九歳の春」「にくまれ口」といった短編随筆は、当地で書き上げられた作品です。
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【 芥川龍之介 】
湯河原を舞台にした小説として知られるのは、「トロッコ」「一塊の土」「百合」の三編。いずれも、熱心な芥川文学のファンであった力石平蔵という人の協力を得て書かれました。都会で生活する芥川は、農村育ちの力石が語ることなどを材料として書き上げたそうです。
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【 島崎藤村 】
代表作「夜明け前」執筆中、夫人に勧められたのをきっかけに、原稿提出後の数日を伊藤屋に滞在・静養することを慣例とした藤村。作品完成後も度々この地を訪れ、その時々の様々な事柄について「藤村・妻への手紙」などに記しています。
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【 国木田独歩 】
晩年の数年間、肺結核のため保養に訪れた独歩は三つの短編小説を完成させています。中でも「湯河原ゆき」の末尾部分に記された「日は暮れかかって雨は益々強くなった。(略)湯河原の渓谷に向かったときはさながら雲深く分け入る思があった」という一文は特に有名です。また、2020年3月末に惜しまれつつも閉園となった万葉公園内の足湯施設「独歩の湯」は、国木田独歩の名にちなんだもの。
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【 山本有三 】
湯河原における有三の作品は「無事の人」と、死の前年85歳で書き上げた「濁流」の二作品。この地で有三は主に政治的・文化的な活動に集中していたようです。しかし、趣味として楽しんでいた俳句には湯河原を詠んだものもいくつかあり、自然を巧みに表現しています。