湯河原の歴史と文学

国木田独歩(1871〜1908)

湯河原と文学

国木田独歩(1871〜1908)画像

国木田独歩が初めて湯河原を訪れたのは明治34年8月。
第一作品集「武蔵野」を出版した5ヶ月後のことです。

この時独歩は「中西屋」に25日ほど滞在しましたが、その時の体験をもとにしてうまれたのが「湯河原より」です。また独歩は初めて訪れた湯河原の印象を次のように手紙に残しています。

「拝啓 人車には一驚を喫した。実に乙なもの変こな者と評する外なし。湯河原頗る可なり。成程これなら中等人士閑散養の地となすに足る。浴湯は不可なり。今一工夫なかるべからずと感じ候。温泉のはだざわりは大いに可、先ず妙々と評すに躊躇せじ。惜ひ哉合客に少女なし美人なし。少くとも美的快感を受容するに足る動物なし・・・・・・・」

その後、独歩は5年後の明治39年、そして40年湯河原を訪れ「中西屋」に逗留しています。
3回目の湯河原行きは、自ら起こした「独歩社」が破産し、失意のあまり酒に溺れ、病状(結核)が悪化し、静養のため訪れたもの。

付き添いの養母をからかいながらの湯河原行き風景を軽妙なタッチで描いたものが「湯河原行き」で、逗留中釣り好きな独歩がしばしば藤木川に出かけ、ボズさんと呼ばれる孤老と親しくなり、その出会いを書いたものが「都の友へ、B生より」です。

「湯ケ原ゆき」の末尾は次のような一文で終わる。

「日は暮れかかって雨は雨は益々強くなった。山々は悉く雲に埋もれて僅かに其麓を現はすばかり、我々が門川で下りて、更に人力車に乗りかへ、湯ケ原の渓谷に向かった時は、さながら雲深く分入る思があった」。
万葉公園の中にある独歩文学碑にも刻まれている。

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